春愁や一人住まいの洗い皿        渡邉 信

春愁や一人住まいの洗い皿        渡邉 信
 
『この一句』

 一人住まいの室内の卓上か、調理台の上かも知れない。洗い上げられた皿が置かれているのだ。それもリビングキッチンの卓上に置かれた真っ白な一枚がいい。かつては何人かの家族がいたのだろう。一人では広すぎる空間に置かれた皿と春愁との兼ね合いが心に沁みる。いい句だ、と私は思ったのだが・・・。
 合評会で「洗い皿」を「皿洗い」としてみたらどうか、という問題が提起された。皿という個体の存在が、皿を洗うという人間の動作に変わる。動作を春愁と取り合わせると、侘しさ、やるせなさが、増してくる感じだが、「一枚の皿、という静物画的な雰囲気こそ魅力」という意見に集約されたようである。
 しかし、ふと気になり「洗い皿」を辞書で調べてみた。「水を張り、盃などをすすぐ皿」のことだという。つまり「盃洗用の皿」のことらしいが、一人住まいにはいかにもそぐわない。「洗い皿」を「洗い終えた皿」と解釈していいのか、ほかに適当な言い回しはないのか。今はそんなことを考えている。(恂)

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