敗荷のうすき日差しを浴びてをり     星川 佳子

敗荷のうすき日差しを浴びてをり     星川 佳子

『季のことば』

 「敗荷」は「やれはす」と読む。蓮は晩秋から冬にかけて次第に枯れて行くが、最終的な「枯蓮」に至るまでの、途中の状態にあるのが敗荷である。「破れ蓮」と書いてももちろんいい。しかし歳時記の一番目には依然として「敗荷」が置かれており、正式な表記はこちら、と言えるのだろう。
 この句は今月初め、東京・足立区の西新井大師吟行に於いての作。境内の一角に鯉の泳ぐ池があり、池中の蓮がちょうど敗荷の状態にあった。茎が「く」の字に曲がったり、枯れかけている葉もあったが、緑の葉もかなり残っている。曇りがちの空から時折、淡い光が射してきていた。
 いま思うと、あれこそが敗荷に相応しい状況であった。枯蓮になってしまえば晴天の下でも、雲の重く垂れこめる日でも、それなりの趣が生まれるだろう。しかし枯れて行く途中となると「うすき日差し」に勝る語があるだろうか。この句に「何かもう一言欲しい」という声もあったが、さらなる修飾は余計かも知れない。(恂)

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