真白けき八月の雲動かざる   篠田 義彦

真白けき八月の雲動かざる     篠田 義彦

『この一句』

 炎熱の八月を活写した。特に「真白けき八月」という措辞が強い効果を発揮している。失礼な言い方だが、この「真白けき」は「雲」の修飾語として使っただけなのかも知れない。「真白けき雲・八月の雲」というわけである。しかし、結果的にはすぐ下の「八月」を修飾しているから、「真っ白な八月」という新鮮でユニークな詩語を生んだ。
 灼熱の太陽に照りつけられると、目がおかしくなるせいか、大気の変化か、あたりが真っ白に見える。あらゆるものがおぼろげになって、ゆらゆら揺れ始めたりする。白昼夢を見たりするのもそうした時である。私の記憶の中の「真白き八月」は昭和20年8月15日、疎開先の千葉の百姓家の前庭に直立不動して聞いた玉音放送の場面である。玉音は蝉の声にかき消されほとんど聞き取れず、真っ青な空に入道雲が立ち上がっていた。まさにこの句の通りであった。
 もちろんこんな遥かな昔にまで遡らなくてもいい。平和な現代の高原をそぞろ歩きしているところと取っても良いだろう。あくまでも明るく、幸福な一時である。しかし、それも束の間の平穏かも知れない。「雲動かざる」が曲者である。その雲が動き出して、一天俄に、ということも感じさせる。とにかく、いろいろ考えが広がる面白い句だ。(水)

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