梅雨明けや孫の褓もとれたるぞ 岡田 臣弘
『この一句』
褓は「むつき」と読む。たとえ読めなくても、「孫の褓もとれた」となれば、「オムツのこと」と了解されるだろう。赤ん坊が成長していく過程の最初に「離乳」があり、次が「オムツはずし」となる。オムツが早く取れる子は賢い、などとも言われ、赤ちゃんを見守る側にはかなり気になることだ。
梅雨明けの日、「オムツが取れましたよ」という報告があった。祖父は「そうか」と大喜びである。「とれたるぞ」には、「とれましたよ」と周囲に知らせる雰囲気がある。孫自慢はいやらしくなく、聞く方も温かく受け止めてくれる。「親バカ」の語があっても「祖父バカ」がないのはその表れだろう。
一方、「孫俳句」を否定する向きが多い。孫を詠むと句がヤワくなる、ということだが、反論もある。例えば句仲間の光迷氏は「妻を抱くのはいいが、孫を抱くのはダメという道理はどこにあるのか」と書き、私は大笑いして賛意を表した。なお「妻を抱く」句を知りたい方は、中村草田男の句を調べて頂きたい。(恂)
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