垂れ下がるメランコリーや藤の花    片野 涸魚

垂れ下がるメランコリーや藤の花    片野 涸魚

『季のことば』

 「今年も見事に咲いたね」と近所の人が噂するような藤が、駅まで行く途中の家に咲く。家の人は毎年、毎年、人々の期待にそむかぬように咲かせているのだろう。その丹精に感謝しつつ通り過ぎて行くが、藤は盛りが来たかと思うと、すぐに葉を伸ばし、春の終わりを告げ始めるのだ。
 「くたびれて宿かる頃や藤の花」(松尾芭蕉)。この句について、山本健吉(文芸評論家)が「藤の本意をよく捉えているといえよう」と書いている。かつてこの文を読んだ時は「そうかな」と軽く読み飛ばしていたが、上掲の句に出会い、本意というものについて考えざるを得なくなった。
 私は藤の華やかさ、美しさ、たおやかさに目を奪われていた。藤に対して同じよう感じを抱いていた人が多かったようで、「言われてみて、メランコリー(憂愁)という藤の持つ別の一面に気づかされた」という評もあった。芭蕉や山本健吉、句の作者はそれを「藤の本意」と見ていたのだ。(恂)

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