風呂吹や小皺のふえし片笑窪   高石 昌魚

風呂吹や小皺のふえし片笑窪   高石 昌魚

『この一句』

 「風呂吹と小皺、片笑窪(の人)という組合わせが絶妙な感じでいい」(明美)との句評があった。ほんとにその通りだと思う。ふんわりとあたりを包む温かさが伝わって来る。風呂吹という季語の味わいを十二分に生かしている。句会でこの句を見た時、古馴染みの飲屋の女将さんの様子を詠んだ句だと思い込み、それ以上のものとは思わずに通り過ぎてしまった。ところが、日経俳句会月報誌上であらためてこの句に目を止め、読みが浅かったことに気づいた。
 これは苦楽を共にして来た老妻をいとおしんでいる句ではないか。冬の夜の食卓ももうずいぶん前から夫婦二人だけ。静かに立ち上る風呂吹の湯気の向こうにカミサンの顔がある。若い頃チャームポイントと言われた片笑窪は相変わらずついているが、いまや小皺に囲まれて・・・。「何をそうじろじろ見つめるの」といぶかしそうな妻の表情に、慌てて盃をあおり、むせたりしている。
 「妻」だとか「苦労」だとか、そうした甘っちょろい言葉は一切伏せて、風呂吹の湯気に小皺の増えた連れ合いを同志を見るように慮るのだ。(水)

この記事へのコメント