卒業の寄せ書きにあるわがくせ字    植村 博明

卒業の寄せ書きにあるわがくせ字    植村 博明

『この一句』

 何十年も昔の寄せ書きを取り出し、眺めているのだろう。小学生(中学生かも知れない)にしては上手な字があり、下手な字もある。そんな中、自分のくせ字は一目瞭然であった。私の奇妙な字は、小学校の頃から変わっていないなぁ、という本人の慨嘆が聞こえてくるようである。
 とても面白い句だが、問題が一つある。この「卒業」は季語と言えるのかどうか。昔のことを詠んでも、卒業そのもののことなら当然、季語になる。しかしこの句の場合、卒業期とは限らない。寄せ書きが例えば書棚の卒業アルバムに挟んであるなら、夏でも冬でも、簡単に取り出して見ることが出来るのだ。句会ではしばしばこういう問題が提起され、結論を出せぬままうやむやになっていく。
 連句に「書割りの月」というのがあり、本物の月を出しにくいときは、画に描いた月を詠んでもいい、とされている。普通はやらないが、場合によっては許される――、江戸の俳諧が生み出した知恵と言うべきだろう。この「卒業」はどうだろうか。句会の雰囲気は「許される」であったと思う。(恂)

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