春暁の静かな雨に目覚めけり     今村 聖子

春暁の静かな雨に目覚めけり     今村 聖子

『この一句』

 この句、ちょっと変だな、と思う人がいるかも知れない。まともに解釈すれば「静かな雨(の音)に目覚めた」となるからだ。しとしと降る雨なら、むしろ気づかない方が普通で、そのまま寝続けるのではないだろうか。実は作者はごく普通に目覚め、その後に静かな雨に気づいたのだ、と私は思う。
 例えば「春尽きて山みな甲斐に走りけり」(前田普羅)という句がある。春が終わる頃になったから、(信濃あたりの)山々が甲斐(山梨県)に向って走り出したなんて、現実にはあり得ない。しかし普羅は、そのように感じた。夏に入ろうとする頃、山はことに生き生きとした姿を見せる。稜線はこぞって山梨の方に走っているように見えた。それを“俳句的文法”によって表現したのだ。
 「春暁の」の句も、同じ手法によっているのだろう。「雨に」を「雨が降っている時に」と解釈することも出来そうだが、そのような理屈の拡大は俳句をつまらなくする。俳句では時に、非合理的表現が合理的な表現となる。作者は、音もなき雨に目覚めた、と感じたのである。(恂)

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