歳時記の隅に埋もるる敗戦忌   大澤 水牛

歳時記の隅に埋もるる敗戦忌   大澤 水牛

『この一句』

この句はブログ「水牛のつぶやき」の「俳句日記」から頂いた。その日のタイトルは「終戦」か「敗戦」か-8・15偶感、であった。日本人は第二次世界大戦の敗戦日を「終戦日」と言い習わしてきた。そこには「いやなことは忘れしまう」あるいは「済んでしまったことにはあれこれ言わない」という日本人特有の気風があり、ややもすれば責任逃れの傾向につながっていく、とブログは論じている。
 実はこの句、数日前の句会(水木会)では、「歳時記の隅に埋もるる終戦日」として出された。句会ではそれなりの評価を得たが、作者には「いまいち」の思いがあったのではないだろうか。ブログで「敗戦忌」と改められた句を見たとき、私は、前句とは異なるある種の重さを感じた。
 終戦忌、敗戦忌、あるいは原爆忌、広島忌、長崎忌は、俳人たちが作り出した語であるらしい。これらは一般用語にはならず、歳時記の隅に埋もれてきたと言えよう。しかしこれらには「終戦日」にはない深みがある。戦没者を真摯に悼む気持ちが「忌」の字に込められているからではないだろうか。(恂)

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