蝋涙の太きひとすぢ原爆忌 嵐田 双歩
『この一句』
まず蝋涙という滅多に見ない古めかしい言葉が目に留まった。大きな国語辞典でないと載っていないが、燃える蝋燭から溶けて流れる蝋を涙に例えた表現である。谷崎潤一郎や原田康子の小説に登場するぐらいで、日常的にはまずお目にかからない。
掲句は、蝋の涙が一筋流れていると詠むだけだが、原爆によって命と日常を一瞬に奪われた数十万の被爆者の無念、怒り、悲しみといった諸々の感情が伝わってくる。「太きひとすぢ」の涙は、被爆者と市民が流した涙の量と熱さを象徴しているようだ。さらに蝋燭から追悼ミサの行なわれる教会をイメージし、平和を祈る人々の姿を思い浮かべる人もいるのではないか。
広島、長崎への原爆投下から今年で81年。被爆者も語り部も減り続け、被爆体験の風化が叫ばれて久しい。核廃絶への取り組みは、弱肉強食の論理が幅を利かせる今の世に推進力を失っている。さらには大国の指導者が核使用の可能性に言及し、中東では核開発のドミノが懸念されている。ヒロシマ、ナガサキの悲劇から、何も学ばない人類の愚かさにため息が出る思いである。
8月が巡ってくる度に原爆の惨禍と平和の尊さを詠み継ぐことは、俳人にとって忘れてはならないテーマといえる。作者は原爆忌と蝋涙の取合せが「付き過ぎでしたかね」と句会で述べていたが、くどいぐらい繰り返し詠み続けることしか、我々に出来ることはないのである。
(迷 26.08.10.)
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