次々と忘れる漢字日記買ふ    廣田 可升

次々と忘れる漢字日記買ふ    廣田 可升

『この一句』

 「まったくその通り。パソコンで文字を打つばかりで、老いも若きも漢字を正確に書けなくなった。せめて手書きの日記があればと思うのでしょう」との木葉さんの評は誰しも思い当たる節があるらしく、句会で一番の人気を集めた。
 そもそも読めるけど書けない漢字は多い。パソコンやスマホで漢字を入力するには変換候補から選ぶだけなので、あまり不自由は感じない。ところが、手書きするには漢字を正確に覚えている必要がある。しかも漢字は理屈では覚えられないから、記憶するには手で書くしかない。かつては手紙だった通信手段は、今や電子メールへ変わったため、文字を書く機会はほとんどなくなった。残されたのは、日記や手帳を手書きでつける習慣くらいだ。
 筆者は、5年日記を買って手書きしている。リタイアしてからは特筆すべき出来事はあまりないので、末尾の一行は夕食のメニューで埋める。その際、ひらがなに逃げず辞書を引きながら必ず漢字を書くように努めている。例えば、「鰤照、菠薐草のお浸し、麻婆茄子」というように。
 また、俳句を始めて良かったことの一つに、「薔薇」が書けるようになったことが上げられる。早世した女優、夏目雅子が作家の伊集院静と一緒になったのは、彼が目の前で薔薇の漢字をすらすら書けたのがきっかけ、とか。そんな逸話にあやかりたい訳ではないが、難しい漢字が書けるようになるのは嬉しい。
 作者も自戒を込めて、「タブレットで日録のようなものをつけているので、日記は買ったことがない。漢字が書けなくなっているのは事実なので、日記を買うかどうかはともかく、手で文字を書くことはしないといけない」と云う。
(双 25.12.27.)

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