日短し時刻表手に旅案内    高橋ヲブラダ

日短し時刻表手に旅案内    高橋ヲブラダ

『この一句』

 「俳句は挨拶」とよく言われる。俳諧の時代、句会に招かれた客は主人への挨拶として発句を詠む。「お招きくださってありがとうございます」。それに対し主人は「いえいえこちらこそ遠路ありがとうございました」と脇をつける。各地に招かれ発句を詠んだ松尾芭蕉には、挨拶吟が多い。
 掲句は、関西在住の日経俳句会員の元に関東の仲間が押しかけ、芭蕉ゆかりの地を主に巡った大阪吟行での詠。昔と違い歌仙を巻くわけではないが、吟行後の句会では、地名を織り込んだり、名所の風景を詠んだりの挨拶句がよく出される。分けても幹事の労をねぎらう挨拶句は、必ず1句や2句は出句されるし、互選では高点を得ることが多い。
 昼前、京都駅に参集した一行は、幹事の案内に従ってJRで唐崎神社及び比叡山坂本、バスで日𠮷大社、京阪で義仲寺、JRで大阪、地下鉄で本町と経回った。あと少しで冬至を迎える短日の午後、幹事はスマホ検索の時刻表を睨みながら、年寄グループを先導。最後の南御堂前の芭蕉終焉の地に着いた頃は、すっかり暗くなり御堂筋の銀杏並木はイルミネーションに彩られていた。
 翌日の句会は、国の重要文化財・大阪中央公会堂という由緒正しい建物の会議室で催された。筆者は何とか幹事を労う句を出そうと思案したが、結局思いつかず断念。そこへ掲句に出会い、真っ先に献票した。他に採った人も「季語が幹事さんの心情をよく表している」と好評だった。果たして誰がこの句を詠んだのだろうと興味津々。
 ところが何と、作者は幹事その人だったのだ。これには一同ビックリ。自画自賛か、と。しかし、考えてみれば別に自分を褒めたり、自らを労っているわけではなく、淡々と自身を詠んだに過ぎない。「俳句は自分史」とも言われるではないか。
(双 25.12.04.)

この記事へのコメント

  • 酒呑堂

    この句を見た時に最初に思ったのは、なぜわざわざ「日短し」などと口調の良くない詠み方をするのかなということだった。しかし、何度か読み返し、じっくり味わうと、「これはなかなかのものだ」と腑に落ちた。東京方の俳友を案内する主人役である作者は綿密な旅程を組んだ。しかし自分勝手に思い思いの行動をする年寄り連中故に時間はどんどん押していく。あれよと日は暮れる。スマホの時刻表を見ながら気が気では無い。まさに「日短し」の焦燥感故の上五なのだ。
    2025年12月04日 00:44
  • 私は、上五は「短日や」だと少々のんびりするので、「日短」が「日短かっ!」という焦燥感が出ていいのではと思いました。「ひみじか」と四文字を気にしたのかもしれませんが、「ひ、みじか」と五音で詠めるのが俳句独特の言い方ですよね。「夕焼け」を「ゆやけ」と言ったり、「蛍」を「ほおたる」と言ったり、世間一般には通じませんが。
    2025年12月04日 21:16