冬隣一抜け二抜けクラス会 中沢 豆乳
『この一句』
一読した時は、晩秋に開いたクラス会で、夕暮を気にして早めに帰る人が出てきた場面を詠んだと考えた。そうすると冬隣の季語がちょっとずれているようで、短日とか暮早しが合っているように思えた。しかし読み返しているうちに、クラス会のメンバーが年を取って、一人、また一人と欠けていく淋しさを詠んだのではないかと思い至った。
古代中国の五行思想で四季を色で表す考えがあり、よく人生にたとえられる。青春・朱夏・白秋・玄冬がそれで、掲句にあてはめれば、若々しい青春時代に出会った仲間たちも実り豊かな秋が終わり、老境という冬を迎えようとしている。クラス会で集まるたびに、友の訃報を聞くようになったという状況であろう。
そう考えると冬隣という季語が心に響いてくる。暗く厳しい冬(老境)を目前にした心細さと、クラスの仲間が次第に減っていく淋しさが重なり合う。さらに「一抜け二抜け」が子供の遊びを連想させ、小学校の仲の良かったクラスが浮かぶ。長い付き合いならば喪失感も大きいであろう。
作者は昭和31年生まれの69歳。後期高齢者には間があるが、体力面など老いを実感する年頃である。クラス会で友の訃報を聞き、去りゆく白秋と、近づく玄冬の足音を聞いたのであろう。冬隣の季語が心象を浮き彫りにしている。
(迷 25.11.21.)
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