陽へ病むと呟く秋の廃園に    大澤 水牛

陽へ病むと呟く秋の廃園に    大澤 水牛

『この一句』

 過日、清瀬の国立療養所東京病院跡地に吟行した折の句である。筆者は句意がよくわからず、採らなかった句である。作者による自句自解には次のようにある。〈「陽へ病む」は前衛俳句の井泉水門下の俊英大橋裸木の句で、往時、肺結核には日光浴がほとんど唯一の療養方法だったサナトリウムでの作。知る人ぞ知る「最も短い俳句」で、あの「桜の園」に足を踏み入れた時に脳裏に浮かんだものです〉。
 筆者は浅学にして、大橋裸木の名前も、「陽へ病む」の句のこともまったく知らなかった。もしも知っていたら、「あゝ、これは裸木の句だな、きっと作者はあの廃れた桜の園で、この句のことを思い出して詠んだのだろう」と共感して一票投じたのに違いない。無知は始末が悪い。
 東京病院は石田波郷、吉行淳之介、福永武彦、結城昌治など錚々たる文学者が、療養生活を送った場所である。大阪生まれの裸木は、ここではなく、奈良や伊賀、津などで療養し、四十三歳の若さで京都で没したようである。かつて不治の病と思われていた結核は、根絶されたわけではないが、患者数が劇的に減少し、治療可能な病気になっている。この句は「陽へ病む」と「秋の廃園」が呼応して、時代の変化を感じさせる抒情の句となっている。
(可 25.11.9.)

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