電柱は地中化してよ鰯雲     須藤 光迷

電柱は地中化してよ鰯雲     須藤 光迷

『この一句』

 のっけから脱力感が横溢していて、なんとも言えない詩情が広がる。勉強不足で多くの作品に接したわけではないが、類句を懸念する必要がなさそうだ。よって既視感もない。
 出勤する。電車に乗る。買物に出る。散歩する。旅に出る。どんな時でもわれわれは景色を見ている。春夏秋冬、似たような景色を見ている。でもその時々で目に映り込んでくる景色は変わる。移る。そしてどんな時も我々は無意識のうちに或るものを消し去って、眼前の光景に見とれる。そうです。いつも眼前の電柱を、電線を消し去って景色を堪能しています。
 この句の手柄は我々の無意識の行為を、さらりと文字化して見せたところです。しかも内心の無意識を、口語にして呟かせたところです。このさりげなさと季語が合体して、句となり昇華したのです。作者によると邪魔なのは電柱ではなく電線だろうなどとも思って、いろいろ推敲したが、結局は電柱に落ち着いたそうです。
 ところでボクはかつて、伊豆へ向かう途中で鰻のために沼津に下車して、市内を散策したことがありました。沼津で見る富士山は千葉の自宅から見るのと違い、眼前にぬうっと迫ります。その時も家々の隙間から、縦横に張り巡らされた電線の隙間から、霊峰が迫ってきました。そしてその時。電線がバリアーとなって、ボクを霊峰の魔力から守ってくれているような気分になりました。邪魔なはずの電線に感謝していました。
(青 25.10.25.)

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