アフリカより来たる人類鰯雲 廣田 可升
『この一句』
こうした破調で字余りで、しかも些か捉えどころのないモチーフで詠った俳句は、毀誉褒貶半ばすることが多い。果たして句会でもあまり賛同は得られなかった。でもわずか17音という弱小芸術で、こういう大ぶりな視点で・大仰な表現で訴えられると、何故か心にしみて来る。この季語にぶつけたこの想念に、ボクはすっかりやられてしまった。
大陸を渡ってきた透き通った秋の空は、それだけで気持ちいい。忙しなく働いている時でも、交差点で立ち止まっている時でも、ふと天を仰いだ瞬間、たちまちのうちに、すーっと気持ちが整ってゆくことがある。何故か一瞬のうちに心が洗われ、力が注入される。ましてや山に向かって、沖に向かって、腰を落ち着けて、どこまでも青く澄み渡っている秋の空に浸っていると、心身ともに現実から遊離して行く。
そんな時、人によって思うことはさまざま。作者同様、ボクも勝手に心がさ迷い出してゆく経験が何度もある。古今東西、老若男女、いつの時代でも良くあることに違いない。
ところが作者はこの季語に、よりによってこんなエピソードを添えた。言い方を変えるとこれ見よがしに聞こえかねない気障な想念である。でもこれが肝である。教養が零れてしまった、とも言える。だってそう思った、そう感じたんだから。そんなあっけらかんとした作者の呟きが聞こえてくるようだ。
(青 25.10.09.)
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