水撒けばごくろうさんと夕立来る 大澤 水牛
『季のことば』
東京の令和7年の梅雨明けは7月18日でほぼ平年並みだった。しかしながら、今年は六月下旬から七月上旬にかけ、梅雨がどこに行ったかと思うほどの炎熱地獄に襲われた。それでは雨量が少ない年なのかと思えば、一定の地域をねらったかのようにゲリラ雷雨が大水を降らせ、大きな被害を受けた町村もある。同様のことは世界各地で起きている。ほんとうに地球はどうなってしまったのかと慄く気持だ。
梅雨明けのあとは再び熱暑酷暑が襲いかかってきた。家の前や庭木に打ち水をして、多少なりとも涼やかにしようというのは江戸の昔からのならい。昼さがり、作者も自宅菜園の弱ったナス、キュウリに水を撒いた。だが、なんとその労をあざ笑うように夕立が来て奥方ら家族に笑われたということだ。よくある話である。筆者も明日は車で遠出と、汗水たらして洗車したのに夜から雨。結局泥んこの中を走るはめになった経験は二回や三回ではない。
しかし作者自身はそんな状況を悠然と笑い飛ばしている。「ごくろうさん」の話し言葉が、「まあいいじゃないか」という気分を出している。これが句全体の雰囲気を柔らかにするとともに、十分な俳味をもたらした。
「七月酔吟会で最高点をとるような句とは思ってもみなかった」と、作者は謙遜するのだが、同時にこの句会には「滅びへの一歩と思うこの熱暑」も投句している。夕立自体は当たり前のことだが、地球環境への警鐘をつねに抱いているのが作者だ。
(葉 25.07.23.)
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