二輪ほど箸置きになり桃の花 星川 水兎
『合評会から』(番町喜楽会)
光迷 桃の花の枝を箸置きにというのは、可愛くていいなと思って採りました。
幻水 子供の頃、母親がこんなことをしていて、懐かしく思いました。
的中 自分にはこういう経験はまったくないのですが、桃の枝はとてもごつごつしていて、それを箸置きにするのはいいですね。
迷哲 二輪ほど花が付いた桃の小枝が箸置きとは風流です。高級料亭の春の膳ですか?
可升 いい句だと思ったのですが、「なり」が少し気になりました。
水牛 「ほど」も気になるなあ。
水兎(作者) 確か百子さんと行った中目黒の店で、こんなことがあったように記憶しています。
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高級料亭かどうかはともかく、景がすっと浮かび、和やかで豊かな気分にしてくれる一句である。合評会では「ほど」や「なり」に引っ掛かる向きがあったが、大きな問題ではあるまい。俳句には芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」のように切れの入った鋭角的なものもあれば、蕪村の「鮎くれてよらで過行く夜半の門」のようにゆったりした調子のものもある。良し悪しではなく、どちらが好みに合うかではないか。
(光 25.03.22.)
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