春暁や吾子の弁当今日かぎり 中村 迷哲
『この一句』
「春暁」の季語にTPO(時・場所・場面)が、ピッタリはまった句と思う。この家には中学か高校生の子がいて弁当を作らなければならない。年に二百数十日も早起きし、弁当を作ってきた作者の妻を詠んだ句と読み解く。私立では給食や校内食堂のある学校が少なくないが、わが子は弁当を持って登校する。世間には貧しさで三食満足な食事ができず、給食で栄養を摂っているという子がいる。まだ弁当を持って行けるのは幸せだとまでは言うまい。この句には、弁当を毎日作る母親(時には父親)の苦労がたしかにある。
春の朝まだき、母親は家族の誰よりも早く寝床を離れ、キッチンに立つ。昨夜の夕食の残りでもあればいいのだが、弁当用にと新しいおかずを作る。定番は卵焼きにウィンナー、野菜物も必要。あれこれ頭を使い、食中毒シーズンなら衛生に気を配る。わが子のためとはいえ、弁当作りは中学であれ高校であれ三年間続く早朝の仕事だ。
わが子がやっと卒業を迎えた。最後の弁当を作りながら、「やれやれ、今日でやっと解放されるのか」と、しみじみ思ったことだろう。「弁当今日かぎり」のフレーズに感無量の思いがこもっていまいか。明日の朝からは楽になるという思いよりも、わが子が上の学校へステップアップする喜びがみえる。もしかして、卒業を祝うメッセージも弁当に包み込んだかもしれない。今月の番町喜楽会で最高点を得た句である。
(葉 25.03.20.)
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酒呑堂