立春大吉婆の読経はまだ続く   大澤 水牛

立春大吉婆の読経はまだ続く   大澤 水牛

『季のことば』

 旧暦の立春は正月、つまり一年の始まりだった。その目出たい日に、「立春大吉」と書いた札を玄関などに貼り、一年間の厄除けと招福を願う習慣がある。実際に立春大吉札を貼ってあるのを見たことはないが、あちこちの寺社や通販大手のアマゾンでもお札が手に入る。自筆の札でも良いらしい。縦書の「立春大吉」は左右対称なので、例えば、札が貼られたガラス戸から侵入した鬼が、ふり返ると裏から見た立春大吉札が目に入り、自分はまだ外にいるんだと錯覚して玄関から出て行く、というユニークな言い伝えもある。
 掲句の「婆」は作者の母。99歳で亡くなるまで矍鑠としていたという。毎朝、仏壇の前でお経を唱えていたそうだ。今日は立春。立春大吉札が貼られた家では、いつもと変わらぬ母の読経の声が部屋に満ちる。何とも立春らしい穏やかな光景だ。
 この句は875の破調だが、声に出して読んでみてもまったく気にならない、というかむしろリズムが良い。「575でないものは俳句ではない」と言いきった高浜虚子に、「凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり」という上5が13音の句がある。その虚子句について三村純也という俳人は「575を踏まえての字余りは、実際には圧縮される。乱暴な言い方をすれば、早く読めばいいのだ」という。掲句は「立春大吉」で大きく切って、ややあって「婆の読経は…」と読み下せば、余韻が長く続く。破調ではあるが、長年の作句生活で575が身体に染みこんだ作者にしか出来ない芸だと思う。
(双 25.02.15.)

この記事へのコメント