百八十卒寿夫婦の年の豆 向井 愉里
『季のことば』
節分を迎えた年寄り夫婦を軽妙に詠み、ほのぼのとした気分になる句である。最初に「百八十」と詠み出して何だろうと思わせ、卒寿夫婦を登場させたうえで、下五の「年の豆」まで来て、九十歳と九十歳で、合わせては百八十粒かと謎が解ける。とんち話のような可笑しみがあり、百八十粒の豆を数えている長寿夫婦を想像すると、思わず目出度いですねと声をかけたくなる。
年の豆とは節分に撒く豆のこと。角川俳句大歳時記によれば、もともと宮中行事として大晦日に行われていた追儺(ついな)が、各地の社寺に広がり、民間の節分行事だった豆撒と習合して一般化したという。今年の節分は二月二日だったが、年男が「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒き、縁起物として人々が取り合う光景がテレビニュースをにぎわせていた。
掲句は、卒寿夫婦の謎かけを面白がる人が多く、2月の番町喜楽会で一席となった。句会では「百八十もの豆、どうやって数えたのだろう」とか、「食べきれないよね」といった疑問も出て、「一粒を十年と数えれば九粒ですみます」との〝謎解き〟まで飛び出した。
高齢の会員が多数を占める句会だけに、卒寿を迎えた方の作品かと思ったら、何と句会では若い方に属する作者と分かった。作者の解説によれば、数えで九十歳になる同い年の両親を詠んだとのこと。「来年、同じことを詠めるかなぁ」というコメントを聞き、笑いを取りながらも、両親の長寿を願う作者の優しい心情に触れ、ほろりとなった。
(迷 25.02.05.)
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酒呑洞