通学路手袋拾い春隣 旙山 芳之
『この一句』
冬がそろそろ終わり、春の気配が感じられる時候を、身近な出来事によって鮮やかにとらえた一句である。情景がすぐに浮かび、春隣の兼題句で真っ先に点を入れた。
小学生の下校時と思われる。朝は寒かったので手袋をして登校したが、帰る頃は寒さも緩み陽も出て来た。手袋は面倒くさいやと、ポケットに突っ込んでいたら、友達とわいわい騒いで歩いているうちに道に落としたのであろう。
春隣(はるどなり)は「春近し」の傍題として掲げている歳時記が多いが、水牛歳時記によれば「どちらも春がすぐそこまで来てるという期待をこめたところは同じだが、『となり』という身近な言葉でより親しみやすく感情移入しやすい」と述べている。掲句はその親しみやすい季語に、手袋の落とし物という可愛いエピソードを重ねることで、春が近いと納得させる。登場人物が子供ゆえに春を待ち望む思いが膨らむ。
句会では「着想が新鮮 守」、「落とし物で春隣とは面白い 木葉」など、季語とエピソードの取合せの妙に点を入れた人が多かった。水牛さんはこの句を採りつつも、「拾い」ではなく「拾う」の方が良かったと指摘した。確かに「手袋拾い」では、春隣との因果関係を述べた感じがある。「拾う」とすれば、まさに情景そのものが春隣だと、より心に響いてくるのではなかろうか。
(迷 25.02.03.)
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酒呑洞