白菜漬盛っておんなの長ばなし 杉山 三薬
『この一句』
昭和の匂い濃厚な句である。田舎では来客や寄り合いがあると、お茶請けとして白菜漬や沢庵など漬物をたくさん皿に盛って供した。農家の縁側などに女性が数人集まり、漬物を勧め合いながら噂話で盛り上がり、時間を忘れている光景が思い浮かぶ。「盛ってが白菜を盛っているのと、話を盛っているのと両方にかかっている」(双歩)との〝深読み〟も示され、盛り上がった。作者によれば三十年前に東京の下町で目にした実景という。
昭和四十年代までは、各家庭で主婦が白菜を買って樽に漬け込むのが当たり前だった。塩加減だけでなく昆布や唐辛子の量など、家ごとにレシピと味が違った。句会には掲句のほか「塩つかみ白菜漬ける母若し」(千虎)や「白菜や母はいつでも割烹着」(双歩)といった句も出され、話が弾んだ。掲句の作者はそんな時代背景を下敷きに、噂話に興じる女性たちをちょっと揶揄して描いたのではなかろうか。
白菜と女性の親和性が高いとはいえ、ジェンダーレスをめざす令和の今の世は、「おんなの長ばなし」と決めつけるような表現に違和感を抱く人もいるであろう。女性の長話はよく見聞きするが、男性だって長話が無い訳ではない。飲んだ時など、くどくどと終わらない人も多い。「あと一本果てぬおとこの長ばなし」といった〝返歌〟があってもおかしくない。
(迷 24.12.12.)
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