秋冷の谷より満ちて奥箱根    中嶋 阿猿

秋冷の谷より満ちて奥箱根    中嶋 阿猿

『この一句』

 句を読んだ時、川沿いに建つ湯の宿をイメージした。陽が落ちたのだろう。川から冷気が這い上がってきて、温泉街全体が秋冷の底に沈んでいく。「満ちて」の措辞が効いており、秋の冷気がじわじわと谷を埋めていく様子が浮かんでくる。格調高く整った句で、奥箱根の固有名詞も秋冷の気分によく合っていると思った。9月の日経俳句会において、「冷やか」の兼題句で一席となったのもうなずける。
 これに対し、句会で「こうした地形は日本全国にあり、奥吉野でも成立する。奥箱根が動くのではないか」(水牛)との指摘があった。「○○が動く」というのは俳句特有の言い回しで、別の季語を持ってきても句として成立するような場合、「季語が動く」と言ったりする。
 固有名詞は大きなパワーを持っており、上手く使えば、その場所の様子、雰囲気、歴史といったものを、一言で伝えることが出来る。ただし、その固有名詞のイメージや由来が、読者に共有されていることが前提となる。あまり知られていない固有名詞を使うと、意味の通らない句になるリスクをはらんでいる。
 奥箱根はよく知られている地名と思うが、範囲が広すぎて、奥箱根のどこをイメージしたかによって句の印象が違ってくる。湯本や塔ノ沢は谷沿いに旅館が建ち並び、句の雰囲気に合うが、奥箱根とは言い難い。さらに登った強羅や仙石原は谷がなく、句のイメージから遠い。もう少し範囲を絞った地名の方が、よりしっくり来たのではなかろうか。
(迷 24.10.18.)

この記事へのコメント

  • 阿猿

    おとりあげくださりありがとうございます!箱根の登山電車に久しぶりに乗ったときの光景を思い出してつくりました。実景なのですが雑に切り取ったせいで「雰囲気句」になってますね。
    2024年10月19日 15:02