別姓に何の支障が秋刀魚焼く   須藤 光迷

別姓に何の支障が秋刀魚焼く   須藤 光迷

『この一句』

 九人もの候補者が乱立した令和六年の自民党総裁選。候補者はあちらこちらで舌戦を繰り広げ、政策(とんと具体的には見えないが)やら思想信条をアピールする。争点のひとつが選択的夫婦別姓を認めるか否か。自民党総裁すなわち日本国首相であるから旗幟を明らかにせざるをえない。世論は分かれるが国民の大勢は選択的夫婦別姓を容認。生活上必要な女性あるいは心情的にそうありたい人には認めればいいという意見だ。二十年来、別姓問題は日本社会の方向を示す政策課題であり続け、与野党保守派、リベラル派の間で対立が絶えない。
 センシティブな問題に切り込んだのがこの時事句だ。作者は「別姓に何の問題があるのか」と明快に断じる。夫婦別姓が当たり前になると、家庭のかたちが変わると主張する保守派の立場と相対する。一読にべもない姿勢にもみえるが、下五に「秋刀魚焼く」という庶民の「いとなみ」を持ってきた。句意と秋刀魚焼くとの相性がどうかと、合評会の場では疑問視する声もあったようだが、これが句の表情を和らげている。世間の論争など無意味で、自分は普段と変わらぬ平凡な生活を送っていると言いたいのだ。政治家の右往左往ぶりを鋭く批判しながら、柔らかく俳句に落とし込んだのは作者の手腕と思う。
 「最後の挑戦」と5回目の総裁選で念願果たした石破総裁は首相になった途端に「別姓容認派」から「慎重派」になった。それだけこの問題に慎重な保守派が党内に多いのだろう。
(葉 24.10.15.)

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