書くことも来ることもなし暑中見舞 中嶋阿猿

書くことも来ることもなし暑中見舞 中嶋阿猿

『季のことば』

 一年の時候の挨拶は年賀状と暑中見舞が世間の風習。最近は年賀状の差出し枚数が激減しているようで、正月の美習もすたれゆく気配だ。暑中見舞の風習はもともと年賀挨拶より控え目で、書状のやり取りも多くはない。暑中見舞は江戸時代から盛んになったらしい。もちろん室町・戦国期からその風はあった。織田信長らが贈り物で敵将の懐柔を図った例など枚挙にいとまがない。その後、武士社会は武断政治が衰えて文治派が実権を握るようになる。そうなると現代ビジネス社会同様、贈り物によって関係を円滑化しようとする。見舞いと称する贈り物は、田沼意次時代にピークを迎えた感がある。商人社会も武士社会より先にどっぷり浸かっていたと思える。
 炎暑下、ふだん会えない人、お世話になっている人の健康を気遣うのが暑中見舞の本来。お互いに書状のやり取りや訪問をして無事を確認し合うのも本来の姿だ。その見舞状を「書くことも来ることもない」という作者。現役を退けば、以前の関係者とのつながりは途絶える。親兄弟や旧友との関係はなくならないが、これも当節はLINEの画像やメールで消息を確認しあっている。あえて手紙や葉書を書くこともない。この句はそんな現状を表現したものか、それもあろう。もう一つ句意にうかがえるのは、無職の人となれば暑中見舞など、もう無縁になったという一抹の寂しさだろう。年金生活者の筆者の胸に響いた句である。
(葉 24.08.05.)

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