十薬や初転勤の一軒家      田中 白山

十薬や初転勤の一軒家      田中 白山

『合評会から』(番町喜楽会)

的中 父親が転勤族だったので、引越し翌朝の雰囲気をリアルに思い出します。初転勤の社宅がとても古く、庭も手入れがされていない。そこに十薬が咲き誇っている。自分の経験に重なって、この句を採りました。
水馬 私の場合は転勤ではありませんでしたが、鹿児島県庁に入庁し、結婚して入った官舎のぼろさ加減を見てカミさんに泣かれたことを思い出しました。
百子 新しい土地での勤務と十薬、なんだか妙に合っていますね。
木葉 初転勤の住まいが古い一軒家。十薬が咲くとその思い出がよみがえる。
作者 自分の俳句は説明してはいけないと、俳句を始めた時に先生からきつく言われていましたので「自句自解」はやめときます。
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 こういう句を見せられれば誰だってその時の事情やいきさつを聞きたいと思う。こういう時こそ「自句自解」が欲しいのだが、作者は、「一旦投句した後はくだくだしい説明は不必要」というストイックな姿勢を貫く。わずか十七音字の俳句は言い足りないことがたくさんある。芭蕉ですら長い前書や俳文を連ねて一句したためている。たとえば「ものいへば唇寒し秋の風」という句などは教訓めいていて、これが俳聖と言われる人の句かと呆れるような駄句だが、これも「『ものいはでただ花をみる友もがな』(余計なことは言わずにただじっと花を見る友がほしいものよ)といふは何某鶴亀が句なり、わが草庵の座右にかきつけることをおもひいでて」という自句自解文があって初めて「ああそうだなあ」と納得できる。
(水 24.06.16.)

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