明易の夫婦は寡黙散歩道    高井 百子

明易の夫婦は寡黙散歩道    高井 百子

『季のことば』

 年寄り夫婦の目覚めは早い。ことに梅雨入り前の6月初め頃の晴れた日は午前4時頃にはもうぼーっと明るくなる。日課の早朝散歩にも精が出る。こうした場面では断然、妻が主導権を握る。「さあ行きましょう」と無精を極め込む亭主を急き立てる。
 この句は年寄りの多い番町喜楽会の6月例会で人気を呼んだ句だが、「早朝にご夫妻でウォーキングをされているのでしょう。散策でなく、ただ淡々と日課をこなしている感じで、寡黙という言葉が上手いと思いました」(愉里)、「私も朝早く歩いていますが夫婦二人連れはどういうわけか寡黙です」(白山)といった句評が寄せられた。そうなのだ、二人とも黙って歩いているのだ。
 作者によると、「早朝散歩で目にする夫婦が二人ともいつも不機嫌そうで、ウオーキングがただの義務みたいなので」句にしたという。むっつり押し黙ったままひたすら歩むとは、端から見ればむしろ滑稽な感じに映る。
 しかし、これが当然とも言える。二人とも喧嘩しているわけではなく、何か不満があるわけでもない。長年連れ添った夫婦、もう話すこともあまり無い。話さなくとも相手が何を考えているのか大概分かる。自ずから「寡黙な散歩」となるのだ。
(水 24.06.12.)

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