時の日や光年といふ時間軸    徳永 木葉

時の日や光年といふ時間軸    徳永 木葉

『この一句』

 時の日、すなわち、時の記念日は六月十日である。その昔、天智天皇がはじめて「漏刻」を作った日とされている。「漏刻」は、『日本書紀』には「漏剋」と記されていて、水時計のことである。まるで階段のような仕掛けの上から水を落として行き、水の流量が一定であることから時を測ったらしい。『日本書紀』には、漏刻に関する記述は二か所あり、斉明天皇の時代に、のちに天智天皇となる中大兄皇子が漏刻を作ったという記述もある。本来ならこの日が時の記念日となってよさそうなものだが、この最初の漏刻の記述には日付がないため、日付のはっきりしている天智天皇時代の記述を元に時の記念日が決められたらしい。
 ところで、時の記念日と言えば、何時何分という人間の活動にまつわる時間のことを指しているのに、この句はそこに「光年」というわけのわからないものをぶつけている。ネットに拠れば、光年は、銀河や恒星までの距離など、キロメートルで表せばそれこそ「天文学的数字」となるものを表すための指標で、「年」という文字が使われているが、時間の単位ではないと説明されている。
 この句は、「時の日」と、壮大なスケールの「光年」を取合せることにより、読む者に、果てしない宇宙の中の存在としての自分や、とてつもなく長い歴史の現在にいる自分を思わせ、さまざまな想像や郷愁を喚起してくれる。「時間軸」の五音がとても効果的である。
(可 24.06.10.)

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