身支度に今年初めて扇子入れ 向井 愉里
『季のことば』
「扇子」は言うまでもなく夏の季語だが、近頃はエアコンが行き渡り、電車も空調完備となって出番が極めて少なくなった。今では「扇子」と聞いてすぐに思い浮かぶのは将棋や囲碁の対局か、落語の一席である。落語では扇子と手拭いが重要な小道具になる。特に扇子はキセルになったり、箸になったり、時には杖や刀や六尺棒になったりする。囲碁将棋の大一番では対局者が扇子を片手に煽ぎ、時には握りしめ、閉じたり開いたりする。こうして間合いをとったり、集中したりするのだろう。
普段の暮らしの場面では出番の少なくなった扇子だが、ご婦人方のお出かけの際の小道具として命脈を保っている。私は東横線電車で東京に出るのだが、この沿線には昔ながらの優雅な暮らしの階層が残っており、そうしたオバさまオバアさまとしばしば相席になる。するとほのかな良い香りが送られてくる。
この句はさしづめそうしたオバさまのお出かけ前の情景であろう。テレビ、ラジオは盛んに熱中症に注意と喚きたてている。そうそう、扇子も入れましょうと思い立った。どれにしようかなと選びあぐねて、結局は最初に掴んだ扇子をバッグに入れている。
「今年初めて」というところが、急に気温の上がる5月末から6月初めをうまく言い当てている。
(水 24.06.06.)
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