くろもじの先を葛餅逃げ回る 岡松 卓也
『この一句』
一読して、葛餅をうまく切れずに悪戦苦闘する人物が浮かんできて、笑いながら点を入れた。句は上五に「くろもじ」を持ってきて、まず何だろうと思わせる。クロモジはクスノキ科の香木で、古くから薬や香水の原料となり、小さく割り削ったものが楊枝として使われてきた。木肌を残して削られた黒文字楊枝は弾力性に富み、爽やかな香りがする。老舗の和菓子屋や茶会の席では、黒文字楊枝が添えられている。
その黒文字の先で、葛餅が「逃げ回る」というのである。爪楊枝に比べ黒文字はやや大ぶりで、刃先も鋭い。葛餅も楽に切り取れそうだが、なぜか楊枝の刃先を逃れて、掴まらない。「逃げ回る」の擬人化表現には、句会で「作りごとめいている」との指摘もあった。その一方で、「本物の葛餅は掴みにくく、逃げ回るのフレーズが軽妙」(木葉)と、そこに面白みを感じた人も多く、葛餅の兼題句で最高点を得た。
違いを生んだのは、関西風と関東風のどちらの葛餅をイメージしたかによるのではないか。本葛を練り上げた関西の葛餅は、半透明で弾力があり、プルプルしている。これに対し、小麦粉の澱粉を発酵させて作る関東風は、透明感はなく食感も硬い。関西の葛餅なら黒文字の楊枝を跳ね返し、つるんと皿の上を滑って逃げても不思議ではない。
作者は日経の大阪本社に長く勤務し、奈良支局長を務めたこともある。本場の吉野葛餅もよく食べたであろう。掲句は大げさな表現に見えて、意外に実体験、実感の句かも知れない。
(迷 24.06.04.)
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