激論も泥酔も見た古扇 金田 青水
『合評会から』(番町喜楽会)
水牛 扇子は捨てにくいのか、私も何本も持っています。それぞれの扇にまつわる思い出があり、それを「激論も泥酔も見た」と詠んだのが面白いと思いました。
春陽子 「泥酔」が特にいいなと思いました(笑)。長く生きたなあ、という感慨の句でしょうか。
光迷 何を巡ってかはともかく甲論乙駁しての激論も、嬉しかったり悔しかったりの泥酔も、いまや遠い昔の話となりました。最近もこのような光景はあるのでしょうか。
斗詩子 昔、カンカン帽と扇子って夏の男性の定番持ち物でしたね。そして扇子片手によく飲み、侃々諤々唾を飛ばしあい。そんな風景が懐かしく思い出されます。
可升 とてもいい句ですね。新聞屋さんの社風が表れているようにも思えました。
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可升氏指摘の通り、政治部記者だった作者の作。扇子を小道具に使うのは昔の政治家に棋士、役者、噺家くらい。政治家の日常に接していた記者たちも、扇子をかざしつつ酒を飲んだかと思う。仲間同士ながら、ときには政局の見立てが真っ向から対立し激論に。殴り合い寸前までの真剣勝負があったとも聞く。そんな場面の目撃者が「古扇」だという。激論の果ては泥酔、キャップやデスクの仲裁で居酒屋の畳にゴロン。いまの記者の皆さんはスマートだろうと信じたい。
(葉 24.06.03.)
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