若葉風監視カメラの見え隠れ 玉田 春陽子
『この一句』
若葉、若葉風、柿若葉、若葉雨と、初夏の清々しさを表す季語として気分がいい。「若葉して御めの雫ぬぐはばや」「ざぶざぶと白壁洗ふわか葉かな」――それぞれ芭蕉、一茶の句は句想こそ違え、この時季の余情を若葉にゆだねた感じがする。雨の中の若葉もわびしさ、暗さを想起させず五月の瑞々しさを感じる。
この瑞々しい若葉風に「監視カメラ」という物騒な物をぶつけたのがこの句だ。中国、ロシアなど独裁国家の専売特許と思っていた監視カメラだが、いつのまにか我が日本の街中をカバーし始めた。多くは「防犯カメラ」と名を変えていて、犯罪解決の強力な武器となっている。加えて、あらゆる車にドライブレコーダーが搭載される時代になったため、犯罪者が逃げ遂せる確率は極めて少なくなった。最近の事件では、デパートから純金茶碗を盗んだ犯人の足取りはすべて掴まれていたという。悪事はできないものだと思えば街中のカメラの効用は大きい。ただ、独裁国家のように国民を監視する用法だけは御免蒙りたい。
あらためて「若葉風のなかの監視カメラ」。公園か並木道か、心地よい風を感じてふと見上げると、樹間からくだんのカメラが目についた。誰かに監視されているようで気持ちいいものではない。若葉風の「正」と監視カメラの「負」、十分計算された一句と思う。
(葉 24.05.19.)
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