転けたのは引力のせい亀の鳴く  廣田 可升

転けたのは引力のせい亀の鳴く  廣田 可升

『季のことば』

 俳句の季語には、どう考えても意味の分からない、摩訶不思議なものがいくつかある。「蛙の目借時(めかりどき)」とか「竜天に登る」、「鷹(たか)化して鳩となる」といった類の季語で、俗説や中国の古典から出ている。いずれも春の季語であるのが面白い。
「亀鳴く」も同じで、声帯を持たない亀が鳴く訳はないのに、春の季語として歳時記に載っている。水牛歳時記によれば、夫木和歌抄にある藤原為家の「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」という歌が出典という。夕暮に聞こえてきた何かの声を、為家が亀の声だろうと遊び心で詠んだのを、江戸時代の俳諧衆が面白がり、季語として定着したようだ。
掲句はそうした「亀鳴く」という季語の味わいと、転んだ自分を取合せて面白がっている。転んだ時に「不注意でした」でも、「歳のせいです」でもなく、しれっと「引力のせいですわ」と言い訳をする。何やら漫才かコントを聞くようで笑ってしまう。亀鳴くという意味不明だけど可笑しみのある季語が、絶妙にマッチしている。
 作者は七十歳を越えても壮健で、毎日のように自転車で街中を走り回っている。だから足腰が弱ったのでなく引力せいと、強弁するのも不思議ではない。ただ作者がコテコテの関西人であることを考えると、転んだ照れ隠しに、吉本風のギャグで受けを狙ったと考える方が、句の面白みがさらに増す。
(迷 24.04.02.)

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