料峭や歯痛に埋める正露丸 嵐田 双歩
『季のことば』
句会でこの句を見つけたとき、「なんとまあ大袈裟で気取った言葉をくっつけたものよ」と苦笑したま素通りした。今どき俳句でもやっていなければ「料峭」などという言葉にはお目にかかれない。しかし俳句でも近頃あまり用いられなくなった大時代の季語である。
「料」は米偏に斗で、升で米を量ることから「はかる、推し量る、感じとる、こしらえる」などを意味し、「峭」は肖(けずりとった)山で「きびしい」有様をいう。つまり「春風なのにやけに寒くて、きびしさを肌身に感じる」という様子が「料峭」である。そこで「たかが虫歯にこんな言葉をなあ」と、冒頭の感想に至ったわけなのだが、今日(2月23日)のように冷たい雨風に遭うと、途端に「料峭」が生きてくる。
こんな日に急に虫歯が痛み始めたら嫌だなと思う。祭日で歯医者は休みである。痛む頬に掌を当てて、家の中をぐるぐる回ったりしている。まるで檻の熊だ。「確か正露丸があったはずだ」と薬箱をかき回し、黒いクレオソートの丸薬をウロになった患部に詰め込む。一瞬ズキンとするが、もう半ばやけになっているから、痛むならもっと痛めなどとマゾ的気分である。
そんな作者の様子を想像してニヤついているうちに、左下の大臼歯がなんとなく痛んできた。すでに2年ほど前、神経を取ってしまい、金属を被せてあるのだが、うずくようだ。因果応報、人を笑はば笑はるる。連休明けに私も久しぶりに歯医者に行こう。
(水 24.02.23.)
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