何もかも妻の仕切りや年の暮 澤井 二堂
『合評会から』(日経俳句会)
朗 実感です。次々と用事を命じられ、あごで使われている我が身を重ねて、大いに共感しました。
実千代 年の暮の情景がこの一句で全部伝わってくると思います。
光迷 我が家もこの通り、買物から掃除まですべてかみさんの仕切りです。世の中の家は大体こうでしょう。上手いこと詠んでいるなと思いました。
鷹洋 良い句とは思います。ただ、一茶の句に「ともかくもあなた任せの年のくれ」があり、中七を妻に替えたのかと、多少抵抗はありました。しかし年の暮になると片付け、買い物、亭主は全く役に立たない。自分のことを詠まれているようだと思って頂きました。
てる夫 たくさん点の入る句だと思いました。あえて私が手を入れさせてもらえるならば、我が家では、下五は年の暮ではなく、一年中ですね(笑)。
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評者が口をそろえて言うのは「我が家も同じです」。窓ふきやら風呂の黴落としやら一年の垢を落とす仕事が尽きない。そのうえ、おせちの準備など年用意があるのだから、一家の主婦は眦を決して動き回ることになる。傍観者を決め込んでいる亭主にはとばっちりが飛んで来る。一茶の時代から変わらぬ年の瀬の家庭風景だろう。作者は「年の暮」の兼題に窮して作ったと自句自解していたが、夫婦の間にいらぬ波風を立てない見事な知恵でもある。亭主族は日ごろから素直に妻の指示に従うべし、とも言っているようだ。
(葉 23.12.23.)
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