只今の声より先に北の風 田中 白山
『季のことば』
異常に気温の高かった十一月が終わり、十二月の声を聞くとやはり季節は正直である。
急に冷え込むようになって、朝晩の寒さはことに身に沁みる。〝亜熱帯日本〟にもまだ冬はあったのだと、少し安堵する。紅葉の見ごろが例年より一週間か十日ばかり繰り下がったため、この秋は各所で紅葉狩りの混雑が続いた。テレビなどで見る限りインバウンド客が主役をつとめ、京都・嵐山や清水寺は芋を洗うような雑踏だった。
ようやく北風が吹くようになってきた。東北や北海道では一気に真冬になり、すでにかなりの積雪を記録した。ホワイトアウトといわれる、二十メートル先が見えない吹雪も起きている。ちょうど良いという「ほどのよさ」がなかなかないのが自然である。
この句は冬の到来を人声と体感で表し、なるほどと納得させる。家族の誰かが帰宅したのかピーンポーンとインタホンが鳴った。作者はドアを開けに玄関先に出なければいけない。暖かい居間から出て、いそいそとドアの取っ手を押すと、瞬間的に冷たい北風が身体を吹き抜ける。ちょっと遅れて「ただいま」の声。聴覚に先んじる体感を詠んで面白い。この場面は、たとえば秋に玄関を開けると同時に、金木犀の香が入って来る感覚にも似ているが、北風の冷感はマイナスの皮膚感覚であるせいか、よりインパクトが強い。「只今」はひらがながいいと思うのだが。
(葉 23.12.08.)
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酒呑洞