冬来たる古傷疼くバイクのり   久保 道子

冬来たる古傷疼くバイクのり   久保 道子

『この一句』

 今年の立冬は11月8日だった。水牛歳時記によると『「いよいよ冬だ」という緊張感が、立冬という言葉にはあるようだ』という。確かに、これから厳しい冬を迎えるという気構えを抱かせる。
 掲句の作者は、オートバイに乗っているようだ。バイクは自動車と違って、日差や風(時には雨も)、気温など自然に直に触れながら移動するので、運転するのはとても爽快だそうだ。しかし、車と違って生身の身体を晒しているので、ちょっとした運転ミスや事故に遭うと、怪我をしたり、場合によっては生命の危機にも繋がりかねない。作者も大事故には到らなかったものの、過去には怪我をした経験があるのだろう。立冬を迎え、古傷(精神的なものもあるのかもしれない)が疼くのも理解できるというものだ。
 この句、共感する人が多く高点を得たが、下五「バイクのり」に疑義を挟む意見が出た。「この句は作者自身を詠んだのか、第三者の立場で他人を詠んだのか分かりにくい。俳句では『自他場(じたば)』と言って、自分・他人・場所が明確になるように詠まなければなりません」と、水牛さん。「バイクのり」が自分の事か他人の事か判然としない、という。
 ネットで調べてみたら、バイクに乗る人は「ライダー」「バイカー」「バイク乗り」などと呼ぶらしい。「バイク乗り」には趣味で乗っている人のニュアンスがあり、自分の事を「バイク乗り」と称する人が多いという。作者もそう自称していると思われる。つまり、「バイク乗り」は「自」でもあり「他」でもある用語のようだが、ほかにこんな例はあるのだろうか。
(双 23.12.03.)

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