鴨一家かかあ天下であるらしき  須藤 光迷

鴨一家かかあ天下であるらしき  須藤 光迷

『この一句』

 居つきの鴨もいるにはいるが、近所の公園の池に鴨が飛来する季節になった。縁起のいい鳥と言われる鴨でも、環境省は鴨に送信機を付け人工衛星で飛来経路を追跡しており、農水省では鳥インフルエンザの警戒に余念がないという。真鴨に軽鴨、筆者にはとんと見分けがつかない。身体の大きさで識別できれば世話ないが、そうはいかない。真鴨の雄は繁殖期に黒っぽい首に白い輪があるそうだ。食べて美味いと言う、いわゆる「青首」がそうなのかと想像するばかりだ。軽鴨のほうはじつに雌雄の見分けが難しいようで、羽の縁の色形、尻羽の色で見分けるということである。
 ともかく作者は川や池で見た鴨のひと群れを家族とみた。小難しい雌雄や夫婦の見分けなどどうでもいい。作者の目の前には仲むつましげな一家が軽やかに浮かんでいる。どうもあれが母親でいちばん威厳がありそうだとみた。実際の鴨の世界で雌が群れのリーダーであるのかどうかは知らない。他の鴨を率いているさまに、作者は人間社会の「かかあ天下」という言葉を当てはめた。
 異論はあろうが、家庭内を波風なく治めるには主婦が主導権を握るのがよいとは古人の知恵。鴨一家に託して作者の持論を披露した形だ。我が意を得たりの句評も当然。「『かかあ天下』ときては上州女としては採らざるを得ません。どこでもかかあ天下が一番うまくいくのです」(百子)に出席者一同大笑い。
(葉 23.11.27.)

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