処理水の騒ぎは知らぬ海鼠かな 徳永 木葉
『この一句』
「処理水」は言うまでもなく、福島第一原発の放射性物質を含む汚染水を処理した水のことであり、「騒ぎ」とは、その処理水を海洋に放出することに伴う、一連の騒ぎのことである。政府は適切に処理された水であると説明し、国際原子力機関のお墨付きも与えられたものの、事前に「関係者の理解」を得ることを前提とすると約束していたにも拘らず、十分な協議が行われず、事実として、風評被害や輸入禁止など深刻な問題が発生していることは周知の通りで、こうした一連のことを「騒ぎ」と呼んでいることは間違いない。作者は、「騒ぎ」に対して、明らかに批判的な目を向けているように思えるが、その矛先が、具体的にどこにどのように向けられているのかは、この句からは定かではない。
この句に詠まれている「海鼠」は、被害の当事者とも言える海産物であるとともに、「騒ぎは知らぬ海鼠かな」と詠まれることによって、とぼけた味を出して、一句を諧謔性のあるものにする役回りを担っている。処理水問題は間違いなく深刻な問題であるが、この句は、海鼠を持ち出すことによって、処理水問題の片々を語るのではなく、まっとうに自然界に棲息する海鼠と私たち人間の生き様の愚かさを対比させ、アイロニーを含んだ句に仕立てている。問題をストレートにあげつらうのではなく、このように詠むことも、俳句表現の深みであり、凄みではないだろうか。
(可 23.11.25.)
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