石仏に賽銭置いて小春の日    向井 愉里

石仏に賽銭置いて小春の日    向井 愉里

『この一句』

 この作者はいい人、心の優しい人に違いない。いまの時代、路傍の石仏に賽銭を上げるなどという人は、極めて稀だろうから。それだけに石仏に頭を下げ、手を合わせ、願い事をするか、日々が健やかであることへの感謝を述べ、ゆっくりと立ち去る姿を想うと、奥床しさに感じ入るとともに、何とも豊かな気分にさせられる。
 その心優しさに、「小春の日」という季語がよく合っている。「小春」あるいは「小春日」「小春日和」は立冬を過ぎてからの春のように暖かい晴れた日のこと。「小六月」ともいい、旧暦十月の異称である。それゆえ、いかにポカポカした春を思わせる陽気でも、年が明けての小春というのは誤用ということになっている。
 記憶を頼りにここまで原稿を書いてきて、間違いがないかと歳時記を見ると、次のような例句があった。賽銭に通じる感じがする「俗名と戒名睦む小春かな」(中村苑子)であり、ゆったりした気分がただよっている「大淀や水の光も小六月」(日野草城)である。さらに「小春風」「小春凪」「小春空」などという使い方もあるのだという。
(光 23.11.24.)

この記事へのコメント