闘蟋のどこか悲しき勝ち名乗り  中野 枕流

闘蟋のどこか悲しき勝ち名乗り  中野 枕流

『この一句』

 闘蟋(とうしつ)という言葉の読みと意味を知っている人は、それほど多くないと思う。句会でこの句に点を入れた人も、ほとんどが辞書を引いたりネットで調べたリしたようだ。
 闘蟋はコオロギの雄同士を闘わせ、勝ち負けを競う遊びである。水牛歳時記によれば、唐代の中国で始まり、現代中国でも盛んに行われているという。単なる遊びではなく賭け事の対象となっており、多くのコオロギを育てて、その中から強い虫を選別し、チャンピオン(虫王)の座を争う。負けたコオロギは打ち捨てられ、選別に漏れた大多数のコオロギは食用に売られる運命である。
 勝ったコオロギは羽を振るわせて鳴くらしいが、闘蟋の現実を知ると、まさに「悲しき勝ち名乗り」である。コオロギの寿命は成虫になってから一か月半ほどでしかない。ひと秋の享楽のため、人間の欲望に翻弄される小さな虫の運命が胸に迫ってくる。
 大多数の人が知らない言葉を句のテーマにすることについては、是非論がある。しかし「闘蟋という言葉を使ったのがユニーク」(双歩)との句評もあった。この句の場合、何だろうと興味を抱かせる効果があったのではないか。闘蟋の意味を知らなくても、その字画・字義と、「悲しき勝ち名乗り」という措辞から、句に漂う哀感は十分感じ取れるように思う。
(迷 23.11.15.)

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