野仏を飾るかんざし赤蜻蛉    中村 迷哲

野仏を飾るかんざし赤蜻蛉    中村 迷哲

『合評会から』(番町喜楽会)

百子 最後まで採ろうかどうか迷いました。赤蜻蛉はじっと止まっていることがあまりなく、実景としてはほとんど見ない。想像で作った気がします。
てる夫 こういうこともあるかなと思って。
双歩 赤い帽子と赤い涎かけをしているお地蔵さんだと赤蜻蛉は目立たないので、これは苔むした本物の野仏か。
幻水 野仏に止まる赤蜻蛉をかんざしと詠んだのは詩的で良いですね。
可升 映像的にはきれいですが、僧形で髪の毛のない野仏に「飾るかんざし」の比喩は如何なものか。どうやって挿すのだろう(笑)。
迷哲(作者) 赤蜻蛉が止まっていたのは墓石だったのですが、それじゃ句にならないので野仏に。確かに脚色が過ぎました(笑)。
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 村外れや峠道などで野仏に出合うことがままある。お地蔵様だったり観音様だったり。その頭に蜻蛉が止まっているのは、長閑な心安らぐ風景だ。作者は「実際は墓石だった」というが、そんなことは気に留める必要はない。「柿食えば鐘が鳴るなり…」の子規の句の寺は、法隆寺でなく東大寺だった、とも。この句に接し、大和路か信濃路か旅に出たくなった。
(光 23.10.29.)

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