十月や布巾だけでも新しく    横井 定利

十月や布巾だけでも新しく    横井 定利

『季のことば』

 「一月」から「十二月」まで、どの月も季語となっている。例えば「八月」は終戦記念日や原爆忌などがあり、旧盆があり、夏休み真っ盛りなど、その月のイメージが鮮明だ。「十二月」も慌ただしい年の暮れで「師走」と同様に分かりやすい。一方、「十月」や「十一月」は、何となく性格が分かりづらい。一年には概ね三音と四音の月が多いのだが、「十一月」は六音もあって収まりにくい。唯一の五音「十二月」は下五に置きやすく、使い勝手は良い。作句者の勝手な言い分で申し訳ないが、「十月」もさほど季語としての魅力は薄く、作句には苦労しそうだ。歳時記の例句をみても「十月や顳顬(こめかみ)さやに秋刀魚食ふ(石田波郷)」や「十月の力鳴きして法師蝉(森澄雄)」など季感を別に求めている。
 掲句はどうだろう。「十月」は晩秋の季語だが、今年は特に暑い日が長く「やっと涼しくなった。秋らしくなってほっとした」などと交わされるほどで、感覚的には〝初秋〟だ。作者が「やれやれ、やっと十月になったわい。せめて布巾だけでも新調して気分を替えようか」となったのも十分頷ける。これが「四月」だったら、カーテンくらい替えそうだ。「布巾だけでも」のつましさがリアルで、生活者の視線が生きている。共感者が多かったのも宜なるかなだ。
(双 23.10.25.)

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