朝露に光る履初めスニーカー 和泉田 守
『この一句』
履物でも着るものでも、カバンその他いろいろな道具類でも、「下ろし立て」にはちょっとした気持がこもる。「履き心地はどうかな」とか「似合うかな」「使い勝手はどうかな」等々いろいろ気になる。
この句はそういった気分を十二分に伝えてくれる。「朝露に光る履初め」という措辞が素晴らしい。猛暑残暑がようやく薄らいで、早朝に露を結ぶ頃合いになった。朝の散歩かジョギングか。このスニーカーは買う時の試し履きは別として、実際に履いて歩くのはこれが初めて。それも実に気持がいい爽やかな秋晴れの朝だ。路傍の草には露が光っている。歩き始めてしばらくは何となくぎごちない感じだったのが、やがてしっくり落ち着いてきた。まんぞくまんぞく、である。
実はこの句が出た同じ句会に私は「スニーカー濡れるもままよ露の原」という句を投じた。やはり「履初め」のスニーカーで露葎に踏み出す気分を詠んだものだ。「濡れるもままよ」でこのスニーカーは特別という感じが伝わるかなと思ったのだが、無理だったようで零点だった。やはり「履初め」と印象深い言葉を置いた掲句には敵わないなと納得した。ところが、このとても感じの良い掲句にも点が入らず、なんと私の投じた一票だけだった。
この句は兼題の「露」を脇役に置いてしまって、「履初めスニーカー」を詠んだ句になっているところが難とされたのかもしれない。兼題句としての評価と、句そのものの評価とのギャップといったところだろうか。俳句は難しい。
(水 23.9.23.)
この記事へのコメント