小雨降る梅若塚の月見草 藤野 十三妹
『この一句』
東武電車の伊勢崎線(いまはスカイツリーラインなどと呼ばれている)「鐘ヶ淵」駅から西方700mほど、隅田川の護岸を背にして木母寺(もくぼじ)という天台宗のお寺があり、「梅若塚」がある。
平安時代の貞元元年(976年)、梅若丸といういたいけな男の子が隅田川の川べりで死んだ。京都北白川の公家吉田少将惟房の息子で、五歳の時に父親が死に、人さらいに誘拐され東北の富裕層に売られて行く途中、病気にかかり捨てられたのだ。たまたま通りかかった忠円という僧が亡骸を弔い塚を築き柳を植え、傍らに堂を建てた。一年後、母親がようやくここを尋ね当て、塚の前で念仏を唱えると梅若の亡霊が現れ母子涙の再会となった。室町時代、世阿弥の息元雅が能『隅田川』を作り、大当たり。江戸時代に入ると人形浄瑠璃や歌舞伎にもなり、京都から江戸幕府に挨拶に来る勅使が必ずここを訪れるということにもなって、木母寺は文人墨客はもとより、江戸市民の近郊散策の名所になった。
今や現場はだだ広い河原で、寺の裏側は隅田川なのだがコンクリ堤防があって流れは見えず殺風景だ。ことに私が出向いたのは夏場のカンカン照りで、なんとも埃っぽい感じがするばかりで、梅若伝説の涙も干からびてしまう味気なさだった。江戸名所木母寺も令和時代の人気はガタ落ちで、よほど能が好きな人でもない限り訪れない。
しかしこの句を見て、そぼ降る雨の梅若塚に月見草を配すれば、なるほど風情が増すなあと感じ入った。この作者の情景設定の巧みさに脱帽である。
(水 23.08.03.)
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