蕗の葉の大中小と庭の隅 向井 愉里
『この一句』
野草と言うか野菜と言うか、とにかく蕗は大昔から日本人に親しまれている。庭の隅に団扇のような葉を二三枚広げているのが面白いと風流人が好む。しかし、放っておくといつの間にかあたり一面、大小の葉っぱで覆い尽くしてしまう。この句の蕗も、半ばそうなりかかっているようだ。
早春、すべてが枯れた地面ににょきっと丸い芽を生やすのが「蕗の薹」。まだ寒い庭先にこれを見つけるのは実に嬉しい。「春が来た」ことを実感させてくれるからだ。一つ出ていれば周りに二つや三つは見つかる。これを採って刻み、味噌とごま油をちょっとたらして炒め、鰹節と炒り胡麻を振り込んで練り合わせると「蕗味噌」の出来上がり。昼間から一杯やる口実になる。
やがて夏場になると茎をすっと伸ばして大きな葉をつける。放っておけば前述の如く野放図に茂り出し、他の植物を圧倒してしまうから、その葉柄を根際から刈り取る。葉を除いた茎を塩をちょっと入れた鍋で湯がく。それを冷水にとって、茎の側面の皮と筋を剥く。筋を取った茎を4,5センチの長さに切り、出汁に味醂と醤油を入れた煮汁で煮含めれば夏バテなんてどこ吹く風の一品になる。
この句の作者は、こんな食い気などではなく、蕗の風情を愛でながら茶を一服点てようかといった優雅な気分で詠んだものなのだろう。確かに、素直にこの句を読み返せば、蕗の一叢がそよぎ、白っぽい葉裏を見せながら、涼風を送ってくれる夏の朝が浮かんでくる。
(水 23.07.16.)
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