考える葦でありたし月涼し    廣田 可升

考える葦でありたし月涼し    廣田 可升

『合評会から』(日経俳句会合同句会)

三代 AIはどこまで進化してしまうのだろうと恐怖を覚えています。この時期に考える葦でありたしと、作っておくのはいいなと思います。やっぱり人間は人間としてありたいなという気持です。
鷹洋 AIが人間に代わる時代は避けられないのか。人情、愛情、同情を知る人間がAIに代わられては堪らない。
木葉 やっぱり考える葦でありたしということは大切なことだと思います。月涼しも白けた様な感じが出ていて、いい季語ですね。
弥生 不条理な人間のあり方を澄んだ月に祈る、そんな気もしますね。
守 タイムリーな句だと思うし、上五中七に私もまったく同感。
定利 凄い句ですね。上手い。
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 この句には「AIの進化に」という前書があった。選句者の中には「前書は不要、なくても伝わる」という人と、「前書がなかったら採らなかったかも」という人がいて、しばし、前書論が続いた。
 前書は追悼句などの挨拶句に使われる事が多く、句が分かりにくいから説明のために、というのはよくないとされる。掲句の場合はどうだろう。前書無しではAIに結びつける情報は何もない。ただし、17世紀の思想家パスカルの「人間は考える葦である」という言葉を今、引用する作者の意図を推し量ると、世情を賑わせている生成AIの功罪に行き着くのはさほど難しくはないように思えるのだが。前書なしの掲句一読、皆さんはどんな感想をお持ちだろうか。
(双 23.07.03.)

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