マドンナの老いて目深な夏帽子  今泉 而云

マドンナの老いて目深な夏帽子  今泉 而云

『この一句』

 番町喜楽会の6月例会で二席を占めた句である。往年の大女優であろうか、あるいは夏場の同窓会か、みんなの憧れの的だった女性が帽子を目深にかぶって現れた。作者はそれを老いをさらしたくない含羞の行為と感じて、句にしたのであろう。「ブリジット・バルドーの写真集を思い出した」(春陽子)、「老人ホームの近くでよく見る光景」(幻水)など、自らの体験を重ね合わせて採った人が多かった。
 夏目漱石の小説「坊ちゃん」を嚆矢として、マドンナという言葉は男性にとって独特の語感、イメージが形づくられてきた。しばしば初恋の人と同義となり、年を経て再会する時など、その姿を見たいような見たくないような複雑な心境になったりした。女優の原節子が引退後は家に引きこもり、人前に姿を現さなくなったエピソードもある。作者は憧れの女性も歳をとるという現実を詠みつつ、目深な帽子で実像を隠したいという心理が働いたのではなかろうか。
 そんな解釈をしていたら、句会後の反省会で出席していた女性から、「そんなの男の幻想」と一蹴された。女性は常に今の自分を肯定する存在であり、若い頃と今を比べて悩んだりしないというのである。夏帽子を目深にかぶるのも、日焼け防止や白髪隠しの現実的な目的があるという訳だ。男女の認識ギャップの大きさに、何やら夢から覚める思いがした。
(迷 23.06.21.)

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