竹の子のいのち確かめ藪を踏む 河村 有弘
『季のことば』
竹は他の植物との協調性がなく自分本位、そして自己主張を強く表す植物であると思う。俳句の季語が、その本質を表しており、「竹の春」と言えば「秋」の季語、そして「竹の秋」なら「春」の季語にしてしまうのだ。即ち竹は、春になれば枯れ葉をハラハラと落とし、秋になれば緑の新らたな葉をぐんぐん伸ばし、竹の世の“秋と春”を人々に告げるのである。
孟宗竹の皮は竹の中でも特に丈夫で、かつては草履や笠の材料になった。その皮の集団的な自己犠牲も他の植物に類例を見ない。地に落ちた葉は自らの勢力圏に散り積もり、根を張り巡らし、他の植物の侵入を許さない。そうして出来上った竹林の地面は、竹皮の堆積地のようなものだ。竹の子(筍)はつまり、そのような「竹帝国」に守られ、成長を続けていく。
句の作者の住居近くに、このような竹林があるのだと思う。朝・夕など、静かな雰囲気を求めて散歩に出ると、竹林に出会う。垣根がないと見れば、ちょっと失礼、とばかりに竹林に足を踏み入れ、ふわふわの地面を踏み、進んで行く。すると、作者は足裏に微妙な固さ感じ、竹の子の命を一つ一つ確かめていく。何ともうらやましい感触、と私は思っている。
(恂 23.06.08.)
この記事へのコメント